「今日における平和の大切さを考える」
日本キリスト教社会福祉学会
第23期 会 長 市川 一宏
第23期 副会長 岸川 洋治
第23期 副会長 山 本 誠
戦後70年の節目となった2015年は、多くの国民が改めて第2次世界大戦によって亡くなられた方々を覚え、世界の恒久平和を祈り、戦争を二度と起こさないことを誓いました。私は、近隣諸国の多くの方々の尊いいのちを奪う戦争を起こした日本の戦争責任は、決して過去のことではなく、今に受け継がれていると考えています。戦争によって被害を受けた方々の悲惨な体験と厳しい生活環境から生じたさまざまな傷は、決して消し去ることができるものではありません。
私は、日本キリスト教社会福祉学会(以下学会)がこの現実に真摯に向き合い、今後どのような歩みをすべきかを考えることが今求められていると思います。そのため、以下の3点を今後の学会の取り組みの起点とします。
1. 謝罪し、和解を求める
そのため、本学会が考えるべきことは、戦争の責任を自覚し、いのちを奪われた人々に謝罪し、和解を求めることではないでしょうか。日本の戦没者は310万人とされていますが、アジア諸国での戦没者はそれをはるかに超え、日本は力でアジア諸国を占領し、多くの方々のいのちを奪いました。聖書には、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」(ローマ信徒への手紙第15章第1節)と書かれています。今日にいたるまで、戦争被害を負っておられる方々に対して、本学会はどのような行動をしてきたか、自ら問い直さなければなりません。
2. 2度と戦争を繰り返さない
平和の意味と平和を実現する術を学び、社会に発言していくことが必要です。ふりかえって、第2次世界大戦は、突然起こったものではありません。戦争に至る前に、私たちがどのようなことをすべきであったか、過去から学ぶことが大切です。また、紛争やテロの頻発する現在、憎しみの連鎖を断ち切るために、本学会は、どのようなことが可能か、絶えず模索し、さらに実践していくことが求められています。
3. 多様性の理解と対話
第3に、平和の危機とは、戦争がもっとも大きな要因ですが、いのちや生存に対する脅威、差別、偏見、貧困、不平等、人間性の否定、基本的人権の蹂躙、環境破壊、核(原発を含めて)の脅威等も含みます。まず、本学会では、宗教、文化、伝統、人種、性、生活習慣等の相違を理解し、多様性を尊重し、対話と協力を深めていくことが大切です。そして、日本という一国を超えて、人間のいのちと存在、そして生活を支える「人間の安全保障」の視点から、地域、社会、国、世界を見直そうとする「ヒューマン・セキュリティ」の視点を忘れないこと。事実、軍事的手段による安全保障だけでは、平和は望み得ない事実に私たちは直面しています。開発においても人間中心の考え方を強調され、経済が推進するグローバル化した社会において、生活の豊かさについて、一国を超えて考えていくことが求められています。
以上の視点を踏まえから、本学会は、具体的な取り組みを模索できないでしょうか。
1) 平和を目指した実践から学ぶ
平和の実現にむけて、たとえ小さいと思われていた行いでも、一つひとつを大切に、先達や会員の働きを学び、理解する取り組みを積み重ねていくこと。国を越えたNGOや教会も、飢餓、内戦、絶対的貧困、環境破壊、政治的抑圧等の困難な問題を解決する取り組みが盛んに行なっています。また、本学会の会員には、それらの活動に関わっておられ、また独自に実践されてこられた方々もおられます。
2)キリスト教社会福祉実践の意味を学ぶ
キリスト教社会福祉実践とは、それぞれのいのち・存在を大切にするという原点に立ち、多様な側面から人間を理解し、生きていくことを大切に、日々共に生きていく道程であると思います。そのために、以下のことが必要です。
① いのちの意味を学ぶ
すべてのいのちは、神様から祝福されて与えられたもの。この事実に、疑義をはさむ余地はありません。だれもが、脈打つそのいのちを感じながら日々の生活を送り、明日に向かって歩んでいくことが求められます。
② 人間の存在の意味を学ぶ
人間を、医学的、生物学的に分析することは可能です。しかし、それでは人間そのものの姿が見えません。それぞれには、宗教、生活文化、伝統などの異なる背景と、それぞれの生き方、個性、能力に違いがあります。そのような一人ひとりの存在に敬意をはらい、そこから学ぶことが大切です。
③ 生きることの意味を学ぶ
お金を失うと生活の危機、誇りを失うと心の危機、希望を失うと存在の危機と言われます。生活の危機にある方々へのさまざまな取り組みは、キリスト教社会福祉実践も担ってきたという歴史があります。本学会は、2012年全国大会から3回にわたり、「希望の光が見える新たな社会づくり」をテーマに掲げ、学んできました。それぞれの人の誇りを大切に、それぞれの希望を見いだし、それぞれに届けることができるのか、学会自身が問われています。
3) 共に歩む
本学会だけでなく、他学会、他機関、そして平和の実現を目指して、社会福祉現場、教育現場、宣教の現場で共に働いている人々と連帯して、希望の光を灯す学会でありたいと思います。
平和とは、与えられるものでなく、創るものであり、すでに達成しているものでなく、たえず達成を目指して挑戦し続けるものです。ならば、将来に向かう学会の存在の意義の根幹は、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。互いに忍びあい、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身につけなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ信徒への手紙 3:12-15)という聖句に固く立ち、キリスト教社会福祉実践に取り組んでいくことと信じています。